鍛鉄との出会い➁~「そして翌日、本当に工房へ行った。」

鍛鉄との出会い➁~「そして翌日、本当に工房へ行った。」

 

当時の消防署は、24時間勤務。
3晩仕事を続けると3日間休みの勤務体制。

…ここで言っておきますが、消防署は公務員ですから副業は不可です。

ですから、西田氏の工房へは鍛鉄の仕事に興味を持ったから通うことにしたのです。

 

西田氏の工房は、遠くから通うスタッフもいるので、始業時間は10時からでした。

飯能から電車に乗り、工房の最寄り駅から車で25分かかるので、乗り合いで工房へ行きます。

 

夫は、職人は朝早くから仕事を始めるもの、と想像していたので

随分、遅い時間に始まるんだなぁと思ったそう。

 

工房に着くと、「今日はこれやって」と6㎜の丸棒の先端を尖らせるパーツつくり。

西田氏が見本を示してくれて、「こんな感じでやってみて」と。

で、始める。

午前10時から午後7時まで、昼食とお茶の時間があってその他は休みなしでその作業をしたそう。

 

翌日も同じ作業。

 

次に工房へ行った日には、平鉄の角を叩いて門扉やフェンスの材料となる下仕事の角打ち。

 

鍛鉄の仕事は、鋼材をそのまま使うのではなく

角打ちのように下仕事をした鋼材を熱して、穴をあけたり、組んだりして加工していきます。

だから、「鍛鉄」は英語で「wrought iron」=「加工された鉄」の意味なのです。

 

そんな下仕事が何か月か続き、やっと溶接機を触らせてもらい、一歩ずつ進む感じで

2年くらい続き、その頃は表札を制作するまでに。

 

角打ちに関しては、本人(幸男)曰く、「もう池袋まで往復したくらいやったよ。」と。

 

これらの下仕事は、独立した後の制作でも、とても役に立ったそう。

同じ作業を繰り返す大切さを身体で覚えた2年間だったのだと思います。

 

2年が過ぎて、まだ、エアハンマー(鍛造機)は触らせてもらえません。

 

幸男24歳、1993年6月9日。

忘れもしない天皇陛下の結婚式のパレードを横目で見ながらの結納の日でした。

まだ職業は、レスキュー隊。